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ニッポン (航空機) : ウィキペディア日本語版
ニッポン (航空機)

ニッポン号は、第二次世界大戦前期における日本の民間航空機。4大陸と2大洋を連続周航した、日本初の飛行機である。
== 概要 ==
1939年8月26日午前10時27分に東京市蒲田区(現 東京都大田区)の羽田飛行場(現 東京国際空港)を離陸し、下記ルートで55日後の10月20日に帰国した。総飛行距離52,886 km(52,860 kmとも)。
世界一周毎日新聞社大阪毎日東京日日)が企画したもので、使用されたのは大日本帝国海軍山本五十六中将の了承で払い下げられた海軍の九六式陸上攻撃機二一型328号機を長距離連絡運輸機に改造したもので、銃座を取り外し、当時最新の自動操縦機能を備えた旅客機に改造したものであり、三菱式双発輸送機と呼ばれる機体の一機だった。外翼内に1400l入りの燃料タンクが増設されていた、長距離に耐えるように燃料52 klを積み、24時間飛行が可能だった。
三菱重工業製で全長16m、翼長25m。巡航速度毎時280 km/h、最大速度400 km/h(500 km/hとも)と推定される。乗員は中尾純利機長・下川一機関士・佐藤信貞通信士・吉田重雄操縦士・佐伯弘技術士・八百川長作機関士に毎日新聞社の大原武夫航空部長を親善使節として加えた総勢7名であった。
また、毎日新聞社は本機の飛行に際して壮行歌の歌詞を一般から募集しており、入選した歌詞を元にした楽曲は1939年8月6日に「世界一周大飛行の歌」(作詞:掛川俊夫、作曲:橋本国彦)として発表された。〔中村勝実『近代佐久を開いた人たち』(ISBN 978-4900408524)278〜287頁〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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